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執筆者の写真うらのりょうた

中間市〜遠賀川水源地ポンプ室のまち〜

中間市(なかまし)は明治時代以降、筑豊炭田の一翼を担い炭坑のまちとして発展。鉄道が整備されるまでは石炭輸送には遠賀川が使用されていました。

遠賀川水源地ポンプ室

戦後、エネルギー革命によって炭鉱は衰退しましたが、現在は北九州市のベッドタウンとして発展。

「遠賀川水源地ポンプ室」は、北九州市の官営八幡製鐵所に大量の工業用水を送るために1910年に操業を開始し、現在も使用されています。赤煉瓦造が特徴で、「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産にも登録されました。

遠賀川水源地ポンプ室

中間市役所

クルマがズラリ。アウトドアを楽しんでいました

筑豊本線の架橋

河川敷ではラグビーもできるようです

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