最大の見どころ:真田幸村【最後に訪れた日20171102】
くどいわ〜。九度山町(くどやまちょう)は真田幸村のまちです。 1600年の関ヶ原の戦いで西軍についた真田幸村は敗れたため九度山で謹慎することになります。再起のための充電期間を過ごします。 そして、1614年の大坂冬の陣には赤備えで挑み、大坂城に土で真田丸を築き、徳川軍を追いつめました。その活躍が今でも語り継がれています。市内には観光用の無料駐車場が点在しており、観光客に優しかったです。完全に幸村のまちです。いたるところに幸村がモチーフのものがあり、バス停やトイレまでもが幸村仕様でした。幸村が隠れ住んでいた屋敷跡に建つ寺院の真田庵、真田ミュージアムほか観光スポットは多数。幸村ファンは1日で回りきれないかもしれないボリュームです。
高野山が女性禁制だったために、空海の母が暮らした慈尊院があります。空海が月に9度母に会いに来たことから「九度山」の地名がつきました。安産や育児の祈願ができます。
すぐそばの階段を上ったところに空海により創建された丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)もあります。
道の駅も良い感じです。芝生の広場もあります。
慈尊院からさらに離れたところに勝利寺と紙遊苑があります。紙遊苑を管理しているおじさんい話を聞くことができました。勝利寺は空海がお祈りに来ていたほどの由緒あるお寺で、もちろん高野山よりも歴史があるそうです。紙遊苑は元々、勝利寺の住職が住んでいたり、過去に天皇などが宿泊するために用いた施設だそうです。天皇が来た証として屋根に菊の紋が入っています。今は紙遊苑と名前を変え、伝統の高野紙の伝承に活用されています。入場無料。勝利寺は市民団体、紙遊苑は行政が管理し、現在の形を保っているそうです。これだけ価値がありますが、「空海が建立した」、「高野山」のネームバリューがないためか、あまり観光客は来てくれないそうです。この日も、自分以外にいたのは30代くらいの男性1人だけでした。
昼時だったのでおじさんに名物を聞いたところ、昼時にも関わらずやわり柿を勧められました。やはり柿がまちの一押しだそう。とくに、九度山町だけで作られたものを富有柿といい、種があり甘さが特徴だそうです。種無しは富有柿でないし、九度山以外でつくられた柿も富有柿でないです。しかし、一時期、奈良などでつくった柿を九度山に持ってきて「富有柿」として販売したり、富有柿を詰めるための段ボールを違う町に横流しして中身は普通の柿で「富有柿」として販売することが横行していたらしいです。今は段ボールは九度山の人にしか与えないなどして対策がされているそうです。また、まちには「柿を送るならゆうパック」という超限定的な旗にびっくりしました。そんなに柿を送るひとがいるということなのでしょうか。
道端の半地下のグラタン専門店が気になりました。
道の駅を起点に「柿の里九度山フルーツラインコース」をランニングしました。
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