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執筆者の写真うらのりょうた

八戸だけじゃない!一戸〜九戸全部行ってみた

更新日:2023年7月3日



青森県の主要都市の1つである八戸市。実は、八戸だけではなく、一戸から九戸まであることをご存知でしょうか。全国でも例を見ないナンバリング自治体です。


「戸」の語源には諸説あります。現在でも「戸数」や「戸籍」といった言葉が使われていますが、そこから連想して「地区」的な意味で使われているという説。


また、戸には「牧場」という意味があり、青森県や岩手県を支配した南部氏が九つの戸(牧場)を設けたという説もあります。


では、ここから、実際に一戸から九戸を順番に巡っていきます。


まずは岩手県二戸郡一戸町(いちのへまち)。


もう既にややこしいのですが、一戸、二戸、九戸は岩手県で、三戸、五戸、六戸、七戸は青森県。一戸町は二戸郡、三戸と五戸は三戸郡に含まれます。


一戸の 「国道4号最高地点標高458㍍」という道路標識には興奮しました。ここで、一戸から九戸の交通事情について解説します。国道4号は東京と青森県青森市を結ぶ東北の大動脈。一戸から七戸までのすべてのまちを通っており、一戸から七戸は昔からの街道に沿ってナンバリングされた可能性が高いことが伺えます。


JR東北本線が前身のいわて銀河鉄道、青い森鉄道には一戸駅、二戸駅、三戸駅、八戸駅、東北新幹線には二戸駅、八戸駅、七戸十和田駅が設置されています。


二戸市(にのへし)は九戸城の城下町です。二戸市なのに九戸城とはこれまたややこしい。これは、九戸家が築いたことに由来しており、豊臣秀吉天下統一の最後の合戦場となりました。石垣は東北最古のものです。


三戸郡三戸町(さんのへまち)は三戸城の城下町として栄え、三戸郡の中心都市として機能しています。


本丸付近からの眺めは素晴らしく、城を復元した資料館も雰囲気がありました。


『11ぴきのねこ』の著書である馬場のぼるさんの出身地で、まちの至るところに銅像などが建てられています。


そして、お次は四戸(しのへ)のはずなのですが、地図を見渡してもどこにも存在しません。実は四戸は唯一の欠番。かつては存在したようですが、争いや行政区分の変更を経て消滅してしまったようです。四戸の「四」が死を連想させるからという説もありますが、詳しいことはわかっていません。ちなみに、名字では四戸が残っており、一戸から九戸まですべて揃っているそうです。


三戸郡五戸町(ごのへまち)は南部藩の代官所が置かれるなど栄えました。


古くから馬の生産が盛んで、基幹産業は農業です。


美しい田園風景が広がると同時に坂が多く、「坂のまち」と呼ばれているそう。


上北郡六戸町(ろくのへまち)は三沢市との境に星野リゾート「青森屋」があり、祭りや郷土料理など青森文化を体感できる宿となっています。


上北郡七戸町(しちのへまち)は一戸〜九戸の中で最北に位置します。


古くは七戸城の城下町として栄え、まちの中心部には高瀬川が流れます。


地理的にはここから折り返し。一戸から七戸までは街道が通っていましたが、太平洋側との間には険しい山々がそびえ立っています。そのため、一戸から七戸ができた後に八戸と九戸が加わったという説があります。


青森市、弘前市とともに青森県3大都市の一角を成す八戸市(はちのへし)。一戸〜九戸の中で1番規模が大きなまちで、「八戸市なら知っている!」という方も多いはず。


青森県最大の港町で、東北地方の中でも宮城県の仙台塩釜港の次ぐ規模となっています。ウニやアワビの吸い物である「いちご煮」などの海鮮料理はもちろん、南部せんべいを使った「せんべい汁」など独自の食文化が発達しており、B-1グランプリ発祥の地でもあります。ご当地グルメを食べる上で、八戸市出身や十和田市出身の知人に薦められたのは市場「八食センター」です。


九戸郡九戸村(くのへむら)は二戸市と面しており、堺には折爪岳(おりつめだけ)がそびえ立ちます。


「道の駅おりつめ」には謎の生き物が鎮座していました。上半身がフクロウで下半身が人間の姿をした「オドデ様」は九戸村に伝わる伝説の生き物です。人間の運勢や病気、天気を言い当てる不思議な力を持っています。今も折爪岳から「ドデン・ドデン」とオドデ様の鳴き声が聞こえるとか聞こえないとか。


【参考文献】

『角川日本地名大辞典 2 青森県』(角川書店 1985)

青森県庁ウェブサイト

岩手県ホームページ

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