島原半島南部に位置する南島原市(みなみしまばらし)。
キリシタン大名が治める国際都市として栄えましたが、江戸時代に入ると幕府の方針により宗教弾圧が始まります。 飢饉が拍車をかけて1637年には「島原・天草一揆」が発生。原城跡を拠点にした決死の戦いむなしく、島原半島南部の住民は幕府によってほぼ処刑されてしまいました。その後は移民政策によって九州各地や小豆島から農民が移住。特産品である手延そうめんの技術もこのときに伝わったとされています。
1991年6月3日には雲仙普賢岳の大規模な火砕流が発生し、43人が犠牲に。「土石流被災家屋保存公園」には被災した家屋が保存されています。
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