本土と奄美大島の間に位置するトカラ列島。
中心となる中之島など7つの有人島からなる十島村(としまむら)は最北の口之島から最南の横当島までの距離が約160㌔にも及ぶ日本一長い村で、悪石島の神様「ボゼ」など独自の文化が残ります。
私は十島村の玄関口である口之島を訪れました。
島の唯一の交通機関であるフェリーは鹿児島港と奄美大島の名瀬港を週2回ほど往復し、各島を結びます。「フェリーとしまは全く揺れないよ。こっちは揺れるけど、あっちの方が断然乗り心地が良い」と隣町である三島村のフェリーみしまの船員さんがおっしゃっていたので安心。
鹿児島港の出港は23時。港の受付の方によると、効率よく島々を巡るための時刻表だそうです。例えば、23時に鹿児島港を出港する下り便は15時20分に終点の名瀬港に入港。しかし、下り便をこれ以上遅くすると鹿児島港の出発が深夜になってしまいますし、逆に早くすると最初に寄港する口之島への到着が5時よりもさらに早くなってしまいます。上り便はなんと名瀬便を深夜2時に出港しますが、これもやむを得ません。
「今日は大変混み合ってまして、両隣に人がいると思いますけど、頭のあたりは仕切りがありますので」と案内されて入船すると、新造船ということもあって照明が明るく清潔感があります。乗客全員が睡眠する前提なので、2等でも簡易ベッドと毛布完備の"個室仕様"。シャワー室も完備です。
何より、船の中の活気に驚きました。フェリーみしまとは明らかに違います。100人以上は乗っているでしょう。レストラン(といっても料理は置いてません)は満席。居酒屋のような盛り上がりで、客室まで笑い声が聞こえてきます。あちらこちらで持ち込んだ缶ビールを片手に話に花を咲かせている人がいて、甲板に上がるとなんとお花見のように座り込んでお酒やおつまみを楽しんでいました。すでに寝ている人も多いですが、フェリーとしまでは前者が市民権(いや、村民権か)を得ていそうです。年齢層は比較的低く、中学生らしきグループも。
朝5時、口之島に到着。私も含めて20人程降りました。半数は重装備で釣り人か登山客と思われます。
口之島は人口100人ほどでレストランやコンビニはなく、営業時間の短い売店が1軒あるのみ。宿も少ないので事前に宿を予約することが必須ですが、約1カ月前に電話した際は『となりのトトロ』に登場するおばあちゃんのような声の方が出て「GWは予約を管理している人が鹿児島に行っているのでまたかけて」と切られてしまいました。GW明けに電話をかけ直すと、また同じ声の方が出て(後でわかりましたが、前に電話した方はおばあちゃんのお母さんでした)「何日?」「名前は?」と2点だけ聞かれて答えると電話は切れてしまいました。わずか54秒。復唱も詳細説明もなく不安でしたが、間違いなく悪い人ではなさそう。そんなこんなで待ち合わせ場所や、そもそも迎えに来てくれるのかもわからず港に立ち尽くしていると、私の名前を呼ぶ"トトロおばあちゃん"の声が。軽バンに揺られながら宿へ向かいます。
宿で荷物を下ろし、島の名所である瀬良馬温泉(セランマ温泉)を目指します。片道9㌔の難敵なので早速出かけようとすると「あんたどこ行くの」とおばあちゃんに止められました。「朝ごはん食べないの」「朝ごはんいただけるんですか」「当たり前じゃない」。
口之島ではフェリーの時刻表の兼ね合いで、1泊5食という異例の形をとっています。「お兄ちゃん、ご飯できたから食べなさい」「いっぱい食べていきなさいよ。お腹空くから」。言われた通り、遠慮なくモリモリいただきました。
「牛はいるけど襲ってこないから安心しなさい」。口之島には日本で唯一、野生の牛がいます。襲ってくる動物はいなさそうなので安心。…と思っているといきなり道端にヘビの死体。先が思いやられます。
瀬良馬温泉に入浴するにはまず、十島村役場の出張所で管理簿に記帳、入泉料の200円を支払って鍵を借ります。
「ん!?なにかいる!?」。ゆっくり近づくと倒木でした。
綺麗な花がたまに咲いているくらいで(それがまた良い)、平和な道をひたすら歩きます。
「お、何か建物があるぞ。展望台か?」。と思ったら牛小屋でした。しかし、中は空っぽで使われた形跡はありません。普段は使われているのか、たまに使われるのか、それとも経済を回すために建てたのか。
とりあえず、万が一悪天候になった場合の雨宿り場所にします。結局、9㌔歩いて近代的な建物はここだけでした。もし今、噴火や地震やゲリラ豪雨が起きたら。ライオンやオオカミが襲ってきたら。今、この瞬間も生きているのはただ運が良かっただけなのかもしれません。大げさかもしれませんが、電波もない、歩いている道も地図に載っていないという状況では生死を意識してしまいます。
野生の牛が逃げ出さないためのゲートをくぐると道は牛の糞だらけ。よく見ると、糞からキノコが生えています。閲覧注意ですが、生命の神秘を感じました。
「ん!?なにかいる!?」。今度こそ正真正銘の野生動物です。見つけた瞬間、猛スピードで逃げ出す中くらいの動物。茶色が3匹と黒色が1匹で、高さ60㌢、体長1.2㍍くらい。野生の牛かヤギです。
さらに、少し歩くとキタキツネくらいの小動物が逃げ出す姿も。色はベージュで体長30㌢くらい。集落を抜けてから1人も人に会いませんが、動物には何度も遭遇しました。
そして、2時間以上歩いてついに瀬良馬温泉に到着。
門の開け方がわからない(つっかえ棒が刺さっていた)。鍵がどれかわからない(キーホルダーに同じような鍵がいくつもついている)。温泉の出し方がわからない(リビングの給湯器をいじるも設定温度が80度。風呂場には赤と青の蛇口。どちらも1分以上水しかでませんでしたが、しばらくして赤い方から温泉が出始めました)。集落の主が管理するという温泉施設はあまりに不親切で(それも醍醐味。悪い意味ではありません)悪戦苦闘し、温泉を張り始めるまでに25分もかかってしまいました。それでも、温泉はとても気持ち良かったですし、その後、畳の上でゴロンとするのも最高でした。
「帰りも歩くのか。温泉に入った意味がないな」。絶望感を感じながら1時間ほど歩いたところで後ろからトラックがやってきて、運転手のおじさんと目を合わせると、「乗ってく?」と一言。人生で初めて知らない方のクルマに乗せていただきました。ありがとう。おかげさまで、行きは2時間31分かかりましたが、帰りは1時間12分で帰れました。
帰ると、「にいちゃん?おかえりなさい。ご飯食べなさい」と台所から声が聞こえてきました。美味しくご飯をいただくと、今度は「お昼寝しなさい」。おばあちゃんの言葉は全部命令形なのですが、全く嫌な気はしません。むしろ心が温まります。それはきっと、私のことを気遣って言ってくれていると伝わってくるから。
半日歩いてさすがに疲れてきっていたので、言われるがままに布団にダイブ。20分ほどで目が覚めると身も心もスッキリ。全部おばあちゃんの言う通りです。さあ、午後は島のシンボルであるフリイ岳の山頂を目指します。
山を登る前に集落を散策。建物の屋根が全て白いのは涼しいからだそうです。夏はクーラーが負けてしまうほど暑いそう。そして、台風で飛んでしまうので瓦屋根はありません。「へき地診療所」がありましたが、診察内容は限られており、島民はフェリーに乗って鹿児島市で診てもらうことが多く、昨年生まれた待望の赤ちゃんも鹿児島市内の病院で出産したそうです。
集落のはずれでスマホの基地局を建てるために鹿児島から訪れ、同じ宿に泊まっている4人組のおじさんのトラックに偶然。「乗ってきなよ!」。登山口まで送ってくださりました。「何しにこんなとこ来るの。売店しかないのに。諏訪之瀬島は売店すらないけど。俺たちはクルマに焼酎を積み込んで来ているんだよ。島の売店で買うと倍するから。倍。なくなったらフェリーで送ってもらう。そっちの方が安い。フリイ岳の山頂に着いたら手を振ってね。俺たちの建てている電波塔も見えるから」。またしても幸運に恵まれて、あっという間に登山口にワープ。温泉への道のりと比べるととても楽に感じます。雑草も虫も少ないですし、牛の糞も落ちていません。
山頂につくと360度の大パノラマが広がっていました。まるで地球の真ん中。島の半分以上が圏外ですが、そんなことはもう気になりません。「そういえば、宿代っていくらなんやろ。今の今まで説明ないけど。まあなんとかなるか」。最高のスローライフです。
山頂で少し休憩をして、次に目指したのは北緯30度線。戦後、日本の北緯30度以南は米国の統治下に置かれ、口之島は国境の島となりました。北緯30度線モニュメントの延長線上には戦艦大和が沈んでいます。途中、「平瀬海水浴場」があります。1日かけて、ベンチのあるまともな休憩場所をやっと見つけました。
十島村には7つの有人島がありますが、戦前は三島村の3つの有人島(上三島)を合わせて十島村でした。当時の下七島は現在の有人7島に集団移住で無人島となった臥蛇島(がじゃじま)を加え、現在は有人島の小宝島を除いた7島。戦後、北緯30度以南の下七島は米国の占領下となり、日本の自治権は上三島のみとなりました。1952年、本土復帰を果たした際に上三島は三島村に改称され分村、下七島が十島村として新設されました。口之島は「ミッコウ」(密貿易)で大変賑わったそうです。
「お兄ちゃん酒は飲まないの」。夜は4人組のおじさんが晩酌に誘ってくださり、大盛り上がり。お酒といえば狭義で日本酒を指すと思っていましたが、鹿児島では焼酎を指します。ビールを飲みながら「お酒飲まないの」と聞かれ「飲んでますよ」と返すと、「酒だよ酒!酒って言ったら焼酎のことだよ」と返されてしまいますのでご注意を。
「どうしたのその足!」。翌日、最後の昼食を食べていると、私の足を見ておばあちゃんがビックリ。「ガジャブにさされてるじゃないの!」。ガジャブは瀬良馬温泉に生息している虫で、ノミより小さく網戸の隙間からも入ってくるので防ぎようがありません。見えない敵です。丸3日経っても強い痒みに苛(さいな)まれ、1週間も痒みが続きました。
「シャワー浴びなさい」「(おじさんたちが揚げ物を残し)みんなの分も食べな」。おはようからおやすみまで「にいじゃぁーん!」と元気良く呼んでくださったアケミおばあちゃんの温かい声が忘れられません。
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