東京と名古屋を結ぶ交通網の歴史はルート誘致合戦の歴史です。「何が何でも我田引水だ!」と政治家たちが政治生命をかけ、駆け引きを繰り広げてきました。中でも、鉄道と高速道路のルート争いは熾烈なものでした。
JR中央本線
1892年、国鉄が険しい日本アルプスの山間を縫って東京と名古屋を結ぶ中央本線計画を発表したことにより、長野県では激しい誘致合戦が勃発しました。中央アルプスの東側を走る「伊那谷ルート」と西側を走る「木曽谷ルート」の二者択一。伊那谷ルートの場合、最終的に恵那山を貫かねばならず、工事費と技術面で課題がありました。そのため、1894年に木曽谷ルートに決定。誘致に敗れた伊那谷側でも後に飯田線の開通にこぎつけています。もし飯田線と中央線の立場が逆転していたならば、伊那谷はもっと発展しており、木曽谷は深刻な過疎化が進んでいたでしょう。
中央自動車道
高速道路の場合はまず初めに、太平洋側の「東海道ルート」と南アルプスをぶち抜く「南アルプスルート」、どちらが日本の発展に寄与するかという議論が巻き起こりました。1953年のことです。東海道は江戸時代に整備されており、沿線人口が多く、利用者も見込めました。平野部を走るため、建設費が安いこともメリットです。一方で、南アルプスルートは土地が入手しやすく、新たな地域の発展も見込めました。悩んでいる間に一足早く着工したのが、名神高速。1963年、名神高速が日本で最初に開通した高速道路になったのにはこのような理由があったのです。結局、両者譲らず1960年に東海道ルートの東名高速と南アルプスルートの中央道は同時着工することに。ところが1963年、この期に及んで中央道の南アルプスルートを北回りの「伊那谷ルート」へ覆したのが青木一男。南アルプスルートに含まれる身延町長が反対する中、政治力を駆使して伊那谷ルートの自治体の取り込みに成功。ゴタゴタの名残が富士吉田線です。工事の難易度が低く、本線の一部として先に着工していましたが、現在では支線扱いになっています。東名高速は1969年に全線開通しましたが、中央道は1982年まで遅れました。リニア新幹線ではルート争いの末に、南アルプスルートが採用されました。ついに今まで実現しなかった東京ー大阪を最短で結ぶという、日本の交通網にとっての悲願が叶います。
一口メモ
木曽谷
奈良井川と木曽川が流れています。中山道を元にした国道19号、JR中央本線が通ります。通称木曽路。
伊那谷
天竜川が流れています。中央道、国道153号、JR飯田線が通ります。
北アルプス(飛騨山脈)
白馬岳(長野県白馬村、富山県黒部市、朝日町)
白馬山々の主峰で、標高2932㍍。日本最大規模の山小屋「白馬山荘」があるなど人気の登山スポット。読み方は「しろうまだけ」なので注意。
剱岳(富山県上市町、立山町)
剣のように険しい山で、標高2999㍍。日本で最も危険な山と言われています。
立山(富山県立山町)
立山連峰の主峰で標高3015㍍。立山修験のメッカで、日本三霊山に数えられます。
槍ヶ岳(長野県松本市、大町市、岐阜県高山市)
槍のように険しい山で、日本5位の標高3180㍍。北アルプスのシンボル。
穂高岳(長野県松本市、岐阜県高山市)
槍ヶ岳に勝るとも劣らない人気を誇る山で、日本3位の標高3190㍍。険しい岩山で、日本三大岩場に数えられます。
乗鞍岳(長野県松本市、岐阜県高山市)
高山市民から愛される山で、標高3026㍍。2700㍍付近まで乗鞍スカイラインで絶景ドライブが可能です。
御嶽山(長野県木曽町、王滝村、岐阜県下呂市、高山市)
日本で最高峰の御嶽山で、標高3067㍍。日本で最も西にある標高3000㍍超の山。木曽のシンボル。厳密には北アルプスと中央アルプスの間にある独立峰。
中央アルプス(木曽山脈)
木曽駒ヶ岳(長野県上松町、木曽町、宮田村)
日本で2番目に高い駒ヶ岳で、標高2956㍍。駒ヶ根市の由来にもなった中央アルプスのシンボル。標高2611㍍の千畳敷までロープウェイが運行しています。
恵那山(長野県阿智村、岐阜県中津川市)
濃尾平野のシンボルで、標高2191㍍。中央自動車道の恵那山トンネルが山体を貫きます。全長8649㍍で、1975年の開通当初は日本一長いトンネルでした。
南アルプス(赤石山脈)
甲斐駒ヶ岳(山梨県北杜市、長野県伊那市)
日本で最高峰の駒ヶ岳で、標高2967㍍。南アルプスのシンボル。
北岳(山梨県南アルプス市)
日本で2番目に高い山で、標高3193㍍。
赤石岳(長野県大鹿村、静岡県静岡市)
赤石山脈の由来になった山で、標高3120㍍。
【参考サイト】
クラブツーリズム
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