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執筆者の写真うらのりょうた

大田市〜石見銀山のまち〜

更新日:2020年10月17日

大田市(おおだし)は石見銀山のまちです。世界遺産にも登録されている石見銀山は銀山地区、大森(街並み)地区、湯泉津地区の大きく3つのエリアに分かれます。

炭鉱のある銀山地区には8㌔圏内に20万人もの人口が押し寄せていたといいます。今は400人程度なので、桁違いの数字です。最盛期には世界の銀の3分の1を産出していたそうです。


炭鉱で勤める者の平均寿命は30歳前後と大変短かったといいます。それほど、炭鉱は有害で劣悪な環境でしたが、当時は医療も発達しておらず、寿命が短い明確な理由は知られていませんでした。待遇はかなり良かったようで、家族を養うために、多くの男が命がけで出稼ぎにきました。


銀山地区には何百という「間歩(まぶ)」があります。銀山の坑道のことで、一人一人に小さな区画が与えられていました。その「間を歩いて」作業するため間歩と呼ぶようになったそうです。交代制で掘っても1日30㌢程度しか進まなかったといいます。家も墓も1つの間歩の中で完結していました。実際に見てみると本当に小さく、入り口がいきなり地下方向だったり上り坂になっている間歩もある上、中は狭いので閉所恐怖症の人には耐えられないと思います。

間歩のようす

間歩は過酷な環境でした

アリの巣のように張り巡らされた間歩

銀山地区ではマスクの原型ともいえる布が見つかっています。当時は梅に殺菌効果があるとされ、おまじないや験担ぎの意味合いも込めて布に塗って使っていたそうで、今でも梅の木がたくさん生えています。しかし、現在では梅にそのような効果はないことがわかっています。神社でのお祈りも欠かしませんでした。

銀山で働く男は神社への参拝を欠かしませんでした

石見銀山は無理な開発をしなかったこともあり、公害が残っていない点が世界で高く評価されています。銀山や金山は閉山した後も公害が残り、ハゲ山になり、住めなくなったり水が飲めなかったりすることもあるそうです。石見銀山は今でも美しい森林が広がっています。


世界遺産としての環境を維持するために住民が選択したことは「人が来すぎては困るし、来なくても困る」ということ。世界遺産でありながら、元々の住民が今も住み続けます。世界遺産になった際は多くの観光客が押し寄せて、大森地区にも新しい店が数店舗開店しました。しかし、クルマの大渋滞は地元の住民にとっても環境にとっても大きな影響を与えました。数年でブームが落ち着くと新しい店は消え、結局は昔から続く店が生き残っています。

ヒダカさんは人気のパン屋さん

大森地区は銀山で働く労働者向けの商業のまちです。歴史的な建造物が立ち並んでおり、ブラブラと歩いて楽しむことができます。

大森地区のまちなみ

Iターンで大森地区の人口は増加傾向にあるそうです。現在、小学生が11人なのに対して、園児は20人。無理な開発はせず、いかに暮らしを維持していくか。金銭の豊かさを最優先しない姿勢には感服しました。持続可能な開発です。同じ島根県でも真逆の施策を採るというのが出雲市。国際的な観光都市を目指して市街地を整備し、新しい店も次々と開店し、賑わいを見せています。どちらが正解ということではなく、どちらも島根県の魅力を押し上げる要素になっていると感じます。

今回詳しくお話を伺ったのは、石見銀山グリーンスローモビリティ(仮)の実験運行を実施している方。大森地区と銀山地区を最高時速20㌔のゴルフカートでゆったり満喫することができます。とても親切丁寧な方で、石見銀山に詳しくなりつつ移動ができ、間歩を観光している間も待ってくれていると至れり尽くせり。当分の間は無料ですが、本数が少なく数人しか乗車できないため、運次第です。

石見銀山グリーンスローモビリティの乗り場

その方が惜しいと話していたことは、「大田市が出雲市観光のついでになってしまっているところ」。昼間に隣接する出雲大社に立ち寄って、石見銀山の観光にくる人が大変多いそうです。しかし、3つのエリアに分かれる上、大森地区と銀山地区は歩いて片道40分近くかかるため、昼下がりに来ては満喫することができません。大田市まで来たものの、間歩に入るのを諦めて帰る人も多いそうです。

湯泉津地区は銀山で働く労働者が疲れを癒しにやってきたまちです。大森地区と同じく歴史的な景観が残されているため、是非セットで訪れたい場所です。温泉は悶える熱さなので注意が必要です。かけ湯で楽しむのもありです。

温泉津のまちなみ

温泉津地区の薬師湯

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