潜伏キリシタンの里、天草市(あまくさし)。世界文化遺産にも登録されている「﨑津集落」は穏やかな漁村ですが、壮絶な歴史を辿っています。
﨑津では1569年にキリスト教の布教がはじまり、ほとんどの村人がキリスト教徒となりました。しかし、1614年に江戸幕府が禁教令を発令。当時は多様性など認められない時代です。1637年には迫害に反発して日本の歴史上最大規模の一揆である「島原・天草一揆」が勃発。その後も神聖なるキリストの絵を踏まされる「絵踏」を強いられるなど、村民は屈辱を味わい、表向きは仏教徒となりました。
それでも、村民は「潜伏キリシタン」として信仰を続けます。神社では「あんめんりゆす=アーメンデウス」と唱え、貝殻の模様を聖母マリアに見立てて信心具をつくり、メダイ(キリスト教のメダル)を柱の中に隠しました。強い忠誠を誓ったキリストに背く行為はできなかったのでしょう。
しかし、平穏な日々は遠く、1804年には潜伏キリシタンが発覚する「天草崩れ」によって5205人もの教徒が検挙されています。
時代は変わり、明治になるとキリスト教の信仰も認められるようになり、村民は﨑津諏訪神社の下に小さな木造崎津教会を建てました。1934年には凄惨な絵踏みの現場となった﨑津吉田庄屋役宅跡に、現在の﨑津教会を建設。こうして弾圧の歴史に終止符が打たれたのです。
﨑津諏訪神社の鳥居から﨑津教会が建つまちなみを眺めると、潜伏キリシタンの葛藤の日々を感じさせられます。
天草市はイメージと違い、中心部はかなり栄えていました。それもそのはず、本土と橋で繋がる離島自治体の中で最も人口が多く、実は人口的に熊本県第3の都市。コンビニはもちろん、ネットカフェや、ゲオ、すき家、スーパーなど24時間営業しているテナントも多く、 なんでも揃っており、夜も明るいまちでした。
名物は「天草ちゃんぽん」です。
【人口】74169人
【面積】683.86 km2
【人口密度】108人/km2
【隣接自治体】
上天草市、天草郡苓北町
(以下海上を隔てて)
長崎県南島原市
鹿児島県出水郡長島町
【交通】熊本市内から約120分
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