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執筆者の写真うらのりょうた

宮田村〜宮田方式農業のまち〜

最大の見どころ:宮田方式農業

【最後に訪れた日20190420】


宮田村(みやだむら)は宮田方式農業のまちです。村を1つの農場と考え、農地をすべて買い付け、就農者へ貸し出す仕組みです。新規就農者の受け入れも積極的に行っており、村はいわば不動産の役割です。理念は「土地は自分のものだが、土はみんなで生かして使う」。全国で問題になっている耕作放棄地も宮田村にはありません。


宮田村繁栄の転機となったのは江戸時代。飯田藩主が参勤交代の際、「距離的にちょうど良い」と宿場町を設置したことで栄えます。明治時代には長野県の他市町村に先駆けて外国製機械を導入したり、いち早く全村下水道を実現。


宮田村は発展を続け、1954年に町制施行して宮田町となります。さらに、同年、赤穂町、中沢村、伊那村と合併して駒ヶ根市となります。しかし、行政の勝手な判断に住民が激しい反対運動を展開。その結果、1956年に分市し、宮田町の条件を満たしていなかったため、再び宮田村に戻りました。合併した後に独立するという全国でも例を見ない自立心の強さを感じられるエピソードです。

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