アジアと日本の間に浮かび、架け橋を担ってきた「国境の島」、対馬市(つしまし)。
鎌倉時代には元(モンゴル帝国)と高麗が侵略(元寇=げんこう)。1274年の「文永の役」、1281年の「弘安の役」で甚大な被害を受けました。元寇がテーマのゲーム「Ghost of Tsushima」も発売されています。
また、対馬市と朝鮮は古くから歴史を共有してきましたが、1591年、天下を統一した豊臣秀吉は次なる野望として朝鮮出兵(文禄慶長の役)を画策します。
良好な関係を築いてきた第19代島主で初代対馬藩主の宗義智(そうよしとし)は反対しますが、天下の秀吉には逆らえず。加勢するも、激しい戦いの末に朝鮮軍の抵抗と秀吉の病死によって撤退を余儀なくされます。日本による残虐行為は両国の関係に暗い影を落としました。
宗氏は徳川家康の時代になると、今度は国交回復を命じられます。朝鮮は日本が先に国書(謝罪文)を送ることを条件としたため、宗氏は苦肉の策で国書を偽造。1607年に国交回復を果たしました。
標高210㍍の清水山の尾根沿いにある「清水山城(しみずやまじょう)」は文禄慶長の役で軍事拠点となった地。厳原の中心地から30分ほどで登ることができ、美しいまちなみを一望できます。
宗氏が居城した「金石城」。復元された金石城門の奥にある「萬松院(万松院)」には激動の時代を生きた宗氏が眠り、日本3大墓所の1つになっています。入場料を払い、132段の石段を登ると墓石が立ち並びます。
明治時代に入ると廃藩置県により厳原県となりますが、伊万里県→佐賀県に改称→長崎県に編入→佐賀県編入で大長崎県→佐賀県分立で長崎県と対馬は迷走します。これは9つの藩を有する肥前国(長崎県と佐賀県)と対馬国の再編に苦労したから。ただ、2国を合わせた県はあっても、1国を2つに分けたような例はほかにありません。対馬は戦時中は韓国併合により、一時的に国境の島ではなくなりました。
対馬の歴史は「対馬博物館」や「観光情報館ふれあい処つしま」で触れることができます。今回は観光情報館で地元の優しい女性に話を伺いながら厳原(いづはら)地区を散策しました。
厳原地区は対馬最大の市街地。昔ながらのまちなみが残る一方で、東横インやマックスバリュ、モスバーガー、ファミリーマートなど本州で見慣れたチェーン店も立ち並びます。まちのあちらこちらにハングル表記が確認できました。
島民の方は温かく、すれ違った時のあいさつはもちろん、道路越しに手を振り合う人やクルマのすれ違いでクラクションを鳴らし合う人も。
「厳原八幡宮神社」は対馬国の一宮。
「対馬藩お船江(ふなえ)跡」は対馬藩の船着場。現在も原形を留める船江は全国的にも珍しく価値のあるものです。
「漁火公園」は青い空と海が広がる高台の公園。
対馬は独自の文化を育んでおり、ご当地グルメも魅力。
「ろくべえ」はサツマイモでできた真っ黒で短いコンニャクに近いプルプル食感の麺が特徴。そばの上にはたっぷりワカメが乗っていました。
「いりやきそば」はスープにたっぷり油が浮いていることにビックリ。コッテリかと思えばあっさりしていてあっという間に完食です。鶏肉は歯応えがあってスタミナ満点。対州そばは柔らかくて喉越しが良くツルツルいけました。
「とんちゃん」は在日韓国人から伝承されたタレに漬け込んだ焼肉料理。
対馬では生のアナゴが食べられます。私は活アナゴ取扱量日本一の回転寿司レストラン「すしやダイケー」さんでいただきました。コリコリしていて甘味が強く、とても美味しかったです。
食後のデザートには「かすまき」。きめ細かいカステラ風の生地にたっぷりの餡が巻かれており絶品です。
「中島水産」さんではイカがグルグル。ちょっとした観光名所になっています。近づくと強烈な塩の香りとイカの匂いが。ずっと見ていられます。
島内では「ツシマヤマネコ」の保護に力を入れています。
Comments