日本の鉄道、いや、日本人の生活に革命をもたらした阪急東宝グループの創始者、小林一三。鉄道会社の経営者でありながら、サラリーマンでもマイホームに手が届くよう日本で初めて住宅ローンを取り入れ、商業や娯楽にも注力しました。「阪急沿線に住み、阪急で通勤通学し、阪急で買い物に行き、阪急で遊びに行く」。阪急の経済圏だけで豊かな生活を完結させるという画期的な発想を生み出しました。沿線ブランドという概念を生み出したといっても過言ではありません。今回は庶民の夢の暮らしを実現させた小林一三ゆかりの地をたどります。
池田~阪急発祥の地~
1910年に開業した「阪急池田駅」は阪急最古の駅のひとつです。同年、小林一三は池田市室町に先進的な西洋建築や日本初のローンを取り入れ住宅分譲を開始。日本における沿線開発の先導モデルとなりました。自身も邸宅を構えた池田市には現在も関連施設が点在しています。旧邸は「小林一三記念館」として公開され、「逸翁美術館」には美術品のコレクションが収蔵されています。小林一三記念館は和洋折衷の豪華絢爛な建物です。レトロモダンなデザインで1番驚かされたのはピンク一色のバストイレでした。阪急阪神ホールディングス、阪急電鉄の本店所在地でもあります。
梅田~世界に誇る巨大ターミナル~
1910年に開業した「阪急梅田駅」。主要3路線がすべて乗り入れる阪急の顔にして、日本の私鉄最大のターミナルです。利用者数は西日本一を誇ります。1929年に開業した「阪急百貨店」は世界初のターミナルデパートであり、こちらは西日本一の売上げ。日本初の「動く歩道」も梅田駅です。梅田駅は“キタ”が大阪最大の繁華街へと発展する原動力となりました。
宝塚~歌劇を生み出したエンターテイメントのまち~
1910年に開業した「阪急宝塚駅」は宝塚線の中核を担うターミナル駅であり、阪急最古の駅のひとつです。小林一三は旅客誘致を目指して遊園地である宝塚ファミリーランドや宝塚大劇場、プール、温泉、動植物園などを次々開業させ、宝塚駅周辺を瞬く間に一大レジャーゾーンへと変貌させました。日本における総合レジャーランドのパイオニア的存在です。宝塚ファミリーランドこそ2003年に閉園しましたが、現在でも「タカラヅカ」は多くの人々を魅了し続けています。
西宮北口~野球のまちから住みよいまちへ~
西宮市中心部の北側にあり、元々は何もない場所でしたが、阪急神戸本線と今津線を接続する乗換駅として1920年に「阪急西宮北口駅」が開業します。戦後は大阪や神戸へのアクセスの良さから急速に発展。1937年には、小林一三がライバル心をむき出しにしていた阪神電鉄のプロ野球参入を聞きつけ、駅前に阪急ブレーブスの本拠地として「阪急西宮球場」を急造します。日本初の全面天然芝と2階建てスタンド。甲子園にも負けない銀傘を設置し、観客席は5万5000人を誇るマンモス球場でした。計画当初は駅の真上に「ターミナル・スタジアム」として建設する驚きの内容でしたが、阪神電鉄が所有する土地の買収に難航し計画は変更されています。
大企業を一代で築いた小林一三の遺言、「宝塚とブレーブスだけは売るな」むなしく、1988年にブレーブスはオリックスに身売りされてしまいます。それでも、阪急の都市開発により西宮北口は「住みたいまちランキング」で度々1位を獲得する人気のまちへと成長しました。球場は2002年に閉鎖され、跡地は阪急百貨店などが入るショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」に生まれ変わっています。
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