山辺町(やまのべまち)は畑谷(はたや)城のまちです。
私がまず最初に立ち寄ったのは「山辺町ふるさと交流センターあがらっしゃい」。まちのみどころを確認し、クルマの運転席に戻ったところ、資料館の女性の方が走って出てきてくださりました。「もしよろしければコーヒー飲んでいきませんか!?」。時刻は9時を回ったところ。せっかくお誘い頂いたのと、1日の始まりにちょうどいいと思い頂くことにしました。資料館に戻ると、机の上の札に「1杯100円」と書かれていたので、財布から100円を取り出したところ、札を慌てて隠して無料でコーヒーを提供してくださりました。
コーヒーを飲みながら、絨毯の話になりました。「オリエンタルカーペット」は世界で通用する技術力を持ったメーカー。納入実績として皇居、都庁、県庁、東京証券取引所、バチカン宮殿などそうそうたる建物が名を連ねます。「もし良かったら工場を見学しませんか」と勧めてくださりましたが、電話で確認したところ今日は団体客の予約で一杯とのこと。その代わり、持ち出し禁止の資料を見せながら丁寧に絨毯の魅力を説明してくれました。
もう1つの話題は畑谷城。こちらもオススメスポットで、山辺町のシンボルの1つだそうです。「もし良かったらガイドさんが案内しますよ」。再び電話で確認してくださりました。ガイドさんを待っている間、コーヒーのおかわりを勧められましたが、さすがに断りました。山辺の方は温かい。ものの10分でクルマに乗ってガイドさんが駆けつけてくれました。「待たしてすみません。僕のクルマの後ろからついてきてください」。
車で30分。畑谷城跡に到着すると、早速解説が始まりました。この地では関ヶ原の戦いの2日前に「もうひとつの関ヶ原の戦い」があったそうです。最上領に上杉の家臣である直江が2万もの大軍で攻め込んできました。一方、最上の家臣である江口は300〜500の兵で迎え撃ったといいます。しかし、劣勢の中でも工夫を重ねて直江軍を疲弊させ、長谷堂城の戦いでの最上軍の勝利に大きな影響を与えました。直江軍も200〜300の兵が犠牲になったといいます。基本的に、味方を減らさない戦い方が理想であり、この数字はかなりのダメージでした。結果、9月13日の関ヶ原の戦いに上杉軍は間に合わず、徳川軍の挟み撃ちを阻止することとなりました。このことが評価され、関ヶ原の戦い後、最上領には外様大名では最大規模となる57万石を与えられます。
では、なぜ江口軍は直江軍に大きなダメージを与えることができたのでしょうか。それは、土を掘った「空濠」と、土を盛った「土塁」を巧みに配置したからだと考えられています。そのほか、山の斜面を平らにけずった「平場(曲輪=くるわ)」、曲輪の周囲の切り立たせた「切り岸」、城の区画を書き起こした「縄張り図」などの説明を受けました。また、季節外れの水田には水をためてドロドロにし、敵の動きを鈍らせたそうです。山城を観るなら、季節は春。夏は草が生い茂って空濠がよく見えなくなり、冬は最大で2㍍もの雪が積もるからです。
お城は日本全国どこにでもあり、山形県内だけで4000を超えます。その中でも、畑谷城は初心者でも構造がわかりやすい城だそうです。ガイドさんはとても歴史に詳しい方でしたが、難しいこともわかりやすく1時間以上かけて丁寧に解説してくださりました。親切で気さくな方でした。
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