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執筆者の写真うらのりょうた

平泉町〜奥州藤原氏のまち〜


最大の見どころ:中尊寺金色堂

【最後に訪れた日20200127】


平泉町(ひらいずみちょう)は奥州藤原氏の本拠地があったまちです。平安時代末期に栄華を極め、京都府京都市の平安京に次ぐ大都市だったそうです。当時の奥州藤原氏の勢いを物語るのが中尊寺です。


中尊寺の専用駐車場にクルマを停め、最も有名な「金色堂」まではゆるい坂道を徒歩で20分ほど。途中には中尊寺の本堂などさまざまな寺社仏閣が立ち並んでおり、気分が高まっていきます。そして、目的地にたどり着きますが、なぜか金色堂が見当たりません。緑生い茂る自然の中で、厳粛な佇まいを見せる黄金の建物。…というイメージでしたが、それが間違いでした。金色堂は「覆堂(おおいどう)」という現代的な建物の中に入っているのです。「とんだガッカリスポットや!」と思ったのは早合点。覆堂の中には見事なまでに極楽浄土を表現した黄金に輝く金色堂がありました。スピーカーからはエンドレスでガイダンスが流れています。漆の上に金箔を塗りたくるという豪華な建築技法を用いているのはここだけだそうです。撮影禁止のため、中をお見せすることはできませんが、一度は訪れる価値ありです。



覆堂の存在にちょっぴりガッカリしていた私を笑顔にさせたのが、1288年に建てられたかつての覆堂です。実は、覆堂の歴史は大変古く、元々は建立50年で簡素な覆屋根がかけられたのが最初だとか。1963年に現在の覆堂が完成したそうです。1000年以上も前から金色堂の美しさを後世に残そうと考えられていたんですね。令和時代を生きる私たちにもしっかりとその思いが伝わっています。


松尾芭蕉が「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだ場所ですね。

まちの景観に関する条例があるのか、京都府京都市と同じく、コンビニやカーディーラーの看板がすべて茶色がかっていました。



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