最大の見どころ:日高御坊【最後に訪れた日20180716】
牛蒡じゃないよ。御坊市(ごぼうし)は浄土真宗本願寺(西本願寺)の別院(本山に準ずるもの)として建立された日高御坊(本願寺日高別院)から地名が誕生しました。寺内町として大変栄え、現在もその面影が色濃く残ります。
日高川を活用して紀州の特産物を運搬する商業のまちとしても栄えました。御坊市の特産品の一つが金山寺味噌です。旋回問屋として産声を上げた「堀河屋野村」さんは創業300年の歴史を誇ります。18代目の圭佑さんに30分ほど話をお伺いしました。店に入った時、お洒落なパーマに短パンとクロックスのラフな格好だったため、驚きましたが、伝わってきたのは、日本の四季と調和した味噌への強いこだわり。昔ながらの木桶を使い、全て手作りで製造できるのは全国に一桁しかないそうです。行く行くは次代太兵衛を襲名予定だそうです。まるで歌舞伎のようで歴史を感じますね。御坊市には今でも歴史を受け継いできた大きなお屋敷が多く残ります。
資料館では館長に興味深い3つの話をお伺いすることができました。
1つ目は宮古姫伝説。宮古姫は生まれた時、髪が生えませんでした。母親が毎日拝んでいると、ついに髪が生え始め、木にかけることができるほどまで伸びます。髪の長い女性が美しいとされた時代。宮古姫は晴れて文武天皇と結婚することができました。
2つ目は安珍・清姫伝説。修行で全国を行脚していた安珍に恋をした清姫。しかし、「修行中に恋愛はできない」と断られたことに激怒します。そして、大蛇に化けて安珍を執念深く追いかけ回します。口からは炎を吹きます。そして、最後は大きな鐘の中に逃げ込んだ安珍を鐘ごと焼き殺してしまいました。恐ろしい伝説です。
3つ目は和田勇さんです。肩書きは「東京オリンピックを呼んだ男」。1907年にカナダにほど近いアメリカで移民として生まれました。4歳から5年ほどは父の故郷である御坊市で祖父母に育てられました。戦後は経営の才覚を発揮してマーケットを17店舗経営。1949年には全米水泳選手権大会に出場する日本の選手団を自宅に泊め、古橋廣之進氏ら「フジヤマのトビウオ」の活躍に大いに貢献しました。その功績が認められ、1964年東京オリンピック誘致の特命大使に任命されます。私費を投じて中南米やヨーロッパ諸国の関係者を訪れ、支持を呼びかけたことが開催の決め手になったと言われています。市では2019年NHK大河ドラマ「いだてん」に取り上げられるために、ラッピングバスを走られたりグッズを配るなどプロモーション活動をしていました。番組では故郷紹介などのコーナーもあり観光の起爆剤になると目論んでいます。しかし、華やかさを尊重する脚本家にあって地道に誘致活動を行った和田氏にスポットライトが当たるかは微妙な情勢でした。
紀州鉄道は営業距離2.7キロメートルの日本一短いローカル私鉄です。御坊市民の生活の足です。
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