公害を乗り越え、環境都市へ。
チッソの企業城下町であった水俣市(みなまたし)。工業が盛んなまちで、1950年代に猫や鳥の不自然な死が相次ぎました。食物連鎖で被害は人間にも及びます。原因はチッソの排水に含まれたメチル水銀でしたが、地域経済を支える大企業をかばう形で対策は後回しにされ、国も"黙認”。後に日本4大公害病の1つである「水俣病」として社会の教科書にも掲載されるほど被害が拡大してしまいました。
水俣市は水俣病を教訓に、ゴミを22種類に分ける「高度分別」を行うなど、日本における環境都市の先駆けとして歩み始めます。1997年に仕切り網が撤去され、1958年から長年にわたって続いた禁漁が終了。2007年には復興のシンボルとして「エコパーク水俣」がオープンしました。NGOのコンテストで「日本の環境首都」の称号を獲得するなど、美しい海とともに生きる日常が戻りつつあります。
【人口】22931人
【面積】163.29 km2
【人口密度】140人/km2
【隣接自治体】葦北郡芦北町、津奈木町、球磨郡球磨村
鹿児島県:出水市、伊佐市
【交通】熊本市内から九州自動車道で約90分
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