1980年代以降、美加の台や清見台といったニュータウンが造成され、発展してきた河内長野市(かわちながのし)。
私事ですが、母方の祖父母もその一例。兵庫県伊丹市で育った私にとって「田舎に帰る」といえば河内長野市のこと。祖父がクルマで迎えに来てくれて、子どものころは何度も何度も足を運びました。"大阪のイメージ"とは遠くかけ離れており、家の近くにはコンビニもなく不便でしたが、今となっては祖父母の愛情と豊かな自然環境が私を成長させてくれたと感じています。
高野山に登ったり、PL花火を見に行ったり、イズミヤで買い物をしたり、ハローマックでレゴブロックを買ってもらったり、ドラえもんの漫画を買ってもらったり、クルマのチラシを切り取って畳の上に大量に並べたり、庭でアリの巣をほじくったり、赤い木の実をつぶして染料にしたり、赤い三輪車で丘から滑り落ちたり。従姉妹と家を無断で抜け出し日没まで帰らず、怒られたこともありました。
子どものころは遊びに夢中で全く知りませんでしたが、河内長野市は「中世に出逢える」を謳うほど歴史的なまちです。京都と高野山を結ぶ「高野街道」が通り、文化財の数は全国トップクラスで、栃木県日光市に匹敵するそう。
約20㍍にもなるクスノキや、天野酒の酒蔵、楠木氏ゆかりの烏帽子形神社などが立ち並びます。「新年は1月19日から営業します」という実にマイペースなカフェも。
河内長野市は国内における爪楊枝の一大産地で、96%という圧倒的なシェアを誇ります。
Comments