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執筆者の写真うらのりょうた

津軽海峡・冬景色、天城越えってどんなとこ?

更新日:2023年7月3日




毎年大晦日に放送されているNHK紅白歌合戦。歌手の石川さゆりさんは2007年から『津軽海峡・冬景色』と『天城越え』を交互に歌っています。


今や、この2つの曲は『蛍の光』や除夜の鐘と並ぶ年越しの風物詩であり、日本の心とも言える存在となっています。『津軽海峡・冬景色』、『天城越え』を聴いて1年間を振り返り、「また来年も頑張ろう」という清々しい気持ちで新年を迎える方も多いのではないでしょうか。


では、津軽海峡や天城越えは日本のどの場所のことなのかご存知でしょうか。舞台となった場所のことをもっと知れば、曲がより味わい深いものになり、心に響くはず。ということで、今回は2つの名曲の舞台に訪れてみました。


まずは『津軽海峡・冬景色』。


『津軽海峡・冬景色』の物語は東京・上野から始まります。主人公は上野駅発の夜行列車に乗車。この曲が発売された70年代当時、夜行列車は主要な移動手段の一つであり、北日本の人々にとって東京の玄関口は東京駅ではなく上野駅でした。


そして、主人公は本州最北端の交通の要衝である青森県青森市の青森駅にたどり着き、雪が降る中、青函連絡船に乗り継ぎます。当時は青函連絡船を経由して本州と北海道を結ぶ列車があり、青函連絡船は列車との接続を前提に運行されていました。本州と北海道の間に待ち構えるのが荒れ狂う波の津軽海峡であり、船上から見えるのが津軽半島の最北端である歌詞に登場する龍飛崎です。


青函連絡船は飛行機の台頭で次第に利用者が減少し、1988年に津軽海峡の海底で青森県と北海道を結ぶ「青函トンネル」が開通したことにより消滅。現在も別会社のフェリーが運行していますが、ターミナルは駅から離れており、クルマなどでの利用が想定されています。


一方、夜行列車も1982年の東北新幹線開業以降は利用者が減少し、2014年に消滅。2016年には本州と北海道を結ぶ北海道新幹線が開業し、北海道への玄関口としての役割は在来線中心の青森駅から新幹線駅の新青森駅へと移り変わっていきました。


青森県青森市の青森駅からクルマでおよそ1時間半、長い旅路を経てやってきた外ヶ浜町(そとがはままち)。このまちに津軽半島の最北端、龍飛崎(たっぴざき)があります。『津軽海峡・冬景色』の聖地とも言える存在であり、歌碑が建てられています。赤いボタンを押すと爆音で曲が流れるのでご注意ください。


物語は船上から龍飛崎がはるかにかすんで見える描写で終わります。北海道出身の人々が地元に帰るのか、はたまた本州の人々が地元を離れるのか。実際に龍飛崎で見た光景は歌詞のイメージとピッタリ重なり、青森県の冬風景を織り込みながら叙情的に描かれた歌詞の表現力と曲の深みに驚かされました。


龍飛崎の周辺には「道の駅 みんまや(漢字では三厩と書きます)」や「青函トンネル記念館」があるので、観光の際は立ち寄ってみてください。ちなみに、記念館は反対側の北海道福島町にもあります。また、龍飛崎はとても急峻で、国道339号には日本唯一の「階段国道」があります。


さよならあなた、私は帰ります。ということで、お次は『天城越え』に向かいます。勝手に東北あたりにあるイメージを抱いていたのですが、実は伊豆半島の内陸側(伊豆市)と南部側(河津町)の境を越えることを指します。


伊豆半島の南部には国際都市の下田市などが構えることから、天城越えは古くから交通の要衝でしたが、同時に難所でもありました。


1905年に悲願であった天城トンネルが開通。日本初の石造道路トンネルで、全長445.5㍍は日本に現存する最長の石造道路トンネルです。この頃からバスも通るようになり、交通の便が飛躍的に向上しました。


川端康成の『伊豆の踊子』、松本清張の『天城越え』といった小説、石川さゆりの名曲「天城越え」など数々の作品の舞台になっています。


1970年には新天城トンネルが開通。旧トンネルルートでは未舗装路の区間もありましたが全区間舗装路となり、直線的になりより走りやすくなり、不可能だったクルマのすれ違いも可能になりました。


車内のBGMはもちろん天城越え。今までしっかりと聞いたことがなかったのですが、歌詞は生々しく、燃える恋愛感情を表現したもの。「あなたを殺していいですか」などドキッとするフレーズも多数あります。「あなたと越えたい 天城越え」という歌詞も意味深に聞こえてきます。


天城越えの周辺には歌詞で登場する「浄蓮の滝」や名物のワサビグルメを味わえる「道の駅 天城越え」があるので、観光の際は立ち寄ってみてください。

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