北海道と九州北部には炭鉱が存在しています。特に、福岡県の中部には多くの炭鉱が集積。明治時代以降、石炭の採掘が盛んになると、筑前国と豊前国の頭文字をとった「筑豊(ちくほう)」という地域区分も新たに誕生しました。今回は筑豊を中心に福岡県の炭鉱の栄枯盛衰と現在の姿をご紹介します。
筑豊エリア
炭鉱として栄えた筑豊ですが、特に栄えた飯塚市(いいづかし)、直方市(のおがたし)、田川市(たがわし)は「筑豊3都」と言われていました。
飯塚市は筑豊で最大の人口(22年現在で約12万人)を擁し、筑豊の中心都市として栄えています。まちのシンボルは炭鉱の捨石でできたボタ山。中心市街地からでも存在感があり、飯塚市の歴史を物語っています。「ひよこ」や、千鳥屋が製造する「千鳥饅頭」「チロリアン」の発祥の地であり、「お菓子のまち」でもあります。甘味が炭鉱員の疲れを癒した。
直方市は石炭輸送の拠点として発展。JR九州と平成筑豊鉄道が乗り入れる直方駅は筑豊各地から石炭車が集まってきていました。国鉄(現JR)によって日本各地に12ある「鉄道のまち」にも認定されています。
田川市は三井グループが進出し、筑豊最大の「炭都」と謳われました。「月が出た出た月が出た、ヨイヨイ」の歌い出しで知られる炭坑節発祥の地であり、この有名な歌詞の続きは「三井炭坑の上に出た」です。しかしながら、1948年に赤坂小梅さんが歌詞の舞台を田川市の三井田川炭坑から大牟田市の三井三池炭坑に移したバージョンが大流行したため、その後は「三池炭鉱の上に出た」がメジャーとなりました。炭鉱の跡地は「石炭記念公園」として整備されており、炭坑節にも歌われた2本の煙突や香春岳を望む丘が残っています。田川市石炭・歴史博物館も併設されています。
北九州エリア
福岡県東部に位置し、外洋へとつながる北九州エリアの北九州市(きたきゅうしゅうし)や苅田町(かんだまち)は石炭輸出の拠点として栄えました。筑豊エリアの各都市とは鉄道で結ばれています。
福岡エリア
福岡県中部の福岡エリアにも炭鉱は存在しました。志免町(しめまち)、粕屋町(かすやまち)、須恵町(すえまち)にまたがる「糟屋炭田(志免炭鉱)」は日本で唯一、一貫して国営だった炭鉱です。志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょたてこうやぐら)は国の重要文化財として歴史を伝承。志免町、粕屋町、須恵町との境界付近には「ボタ山」が残っています。
筑後エリア
福岡県南部の筑後エリアに属する大牟田市(おおむたし)は隣接する熊本県荒尾市とともに三井三池炭鉱のまちとして栄えました。2015年に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されています。
産業革命によって栄えた炭鉱都市は戦後、コスト高や石油への転換によって衰退していきました。しかし、山間部に炭鉱が多かった北海道に比べて福岡県は福岡市や北九州市といった大都市と道路や鉄道でつながり、インフラが充実していたこともあってベッドタウンとして発展を続けるまちも多いです。
Comments