【問題】最大都市と県庁所在地が一致しない県を5つ挙げてください。
そもそも県庁所在地って?
今回のテーマは県庁所在地。そもそも県庁所在地とはなにか。はじまりは明治時代にさかのぼります。中央に権力を集中させようとした明治政府が、廃藩置県を行いました。そして、行政機関や国の出先機関を設置。県庁が所在するまちなので県庁所在地と呼びました。つまり、県庁所在地は「行政の中心」といってよいでしょう。
行政の中心=経済の中心とは限らない!
行政の中心となった県庁所在地は、もともと経済的に発展していたまちや、交通の便が良かった場所がほとんどです。多少不便な場所であっても、おのずと経済の中心としても発展していきました。ここで面白いのは現代においても行政の中心=経済の中心とは限らないことです。
政経分離の県は5つ!
行政の中心と経済の中心が違うことは悪いことではありません。バランスが取れ、満遍なく県下を発展させる戦略になると思います。一方で、お互いを因縁のライバル視することもしばしば。
県最大の人口を誇る都市と県庁所在地が一致しない県は5つあります。みなさんはすべて答えられるでしょうか。
まず、代表例は山口県です。山口県の県庁所在地は山口市ですが、人口や経済規模では下関市が上回っています。群馬県(前橋市と高崎市)、静岡県(静岡市と浜松市)、三重県(津市と四日市市)も該当します。さらに、福島県はざっくり行政の福島市、経済の郡山市、工業のいわき市と三つ巴の様相を呈しています。
一極集中の県も多数
逆に、県庁所在地が行政と経済の中心として絶大な力を持っている県も多くあります。特に、東京都や京都府は県民の5割近くが県庁所在地に集中しています。逆に、山口県や茨城県などは1割程度しか県庁所在地に住んでいません。
県名と県庁所在地名が一致しないのはなぜ?
簡潔にいうと、廃藩置県に反対した県は県庁所在地名が一致しません。明治政府が従わない罰として藩名を県名として残してくれなかったのです。例外は福島県、山形県、福井県、和歌山県です。江戸幕府の御三家があった水戸、名古屋はもちろん反対したため、それぞれ茨城県と愛知県となりました。和歌山は御三家でありながらすぐに反対しない意思を示したため、和歌山県の名を残すことになりました。県名と県庁所在地名が一致しない都道府県は18あります。
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