最大の見どころ:中野陣屋
【最後に訪れた日20190518】
中野市(なかのし)は中野陣屋のまちです。中野市の悲しい史実の舞台となった場所です。元々、中野市は江戸時代初頭から幕府の直轄である天領として栄えてきました。中野陣屋は代官などが住むために設置されたものです。当時、北信濃には4カ所の陣屋がありましたが、1724年には中野陣屋に統一され、信州随一の陣屋となりました。明治時代に入ると、中野市は中野県の県庁所在地となり、1870年9月からは中野陣屋が中野県庁として使用されます。しかし、同年12月の中野騒動(一揆)によって中野市の栄光は音を立てて崩れ落ちます。高山村の農民約2000人が小布施町に集結し、中野市の豪農や商人を襲い、まちは壊滅状態に。中野県庁も焼失してしまいます。中野市民の嘆願むなしく、翌年7月に中野県は廃止。県庁は長野市へと移り、今日の長野県が誕生しました。中野県はわずか10カ月の命でした。跡地には「中野陣屋県庁記念館」が建てられています。
このように悲しい歴史を辿っている中野市ですが、由緒あるまちだけあって、中央通りを起点にまちなみはとても綺麗に整備されています。
縁起物や風俗物としてつくられる土人形の制作が盛んで、「創作土人形工房」があります。
作曲家の高野辰之の出身地も中野市です。ふるさとを思い浮かべて作曲した「ふるさと」は日本人なら誰もが知っている唱歌です。中野市は日本のふるさとと言えるかもしれません。
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