オホーツク総合振興局の振興局所在地であり、オホーツク海側の中心都市である網走市(あばしりし)。
網走市の発展には日本最北端の刑務所である「網走刑務所」が深く関わっています。
時代は江戸時代から明治時代へ移り変わる頃。急激な近代化による混乱で、東京や大阪では犯罪者が溢れかえり、刑務所が不足していました。
一方、当時の北海道は人口が少なく、肥沃で手つかずの大地が広がり、なおかつロシアや欧米による侵略の脅威が迫っていたことから開拓が急務でした。
そこで、日本政府は北海道に刑務所を設置し、囚人を使役させれば防衛と開拓の2つの課題を一気に解消でき、刑期を終えた囚人はそのまま住み着けば良いと考えました。
こうして1890年、人口わすが631人の小さな漁村・網走に刑務所が誕生。
何千もの囚人が、人が住み着かないほど厳しい寒さの網走の地にやってきました。刑務所を建てれば囚人を監視するための職員がやってきます。職員が来れば家族もやってきます。人が増えれば商売を始める人もやってきます。こうして網走の人口は急増。
囚人たちは過酷な労働環境で道路、鉄道、空港、港や農地などあらゆるインフラの開発に貢献し、網走はオホーツク海側を代表する都市へと発展していきました。
過去に使用されていた刑務所は「博物館網走監獄」として公開されています。収容される時も出所する時も必ず通り囚人の心を映す「鏡橋」、中央見張所を中心に五つの舎房が放射線状に建つ「五翼放射状房」、入浴時間15分で3分刻みで動作しなければならない「浴場」などが見どころ。
お土産店では囚人がつくった商品が販売されており、網走市の民芸品でアイヌ版のこけしともいえる「ニポポ」が人気です。
ちなみに、網走刑務所は現在も使用されており、博物館と間違う観光客も多いそうなので要注意。
JR釧網本線の「北浜駅」は「オホーツク海に一番近い駅」、「流氷に一番近い駅」と謳われる人気スポットです。
オホーツク海や知床半島を一望できる「道の駅 流氷街道網走」。冬は流氷砕氷船「おーろら」の発着場になります。
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