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執筆者の写真うらのりょうた

豊後高田市〜昭和のまち〜

昭和時代の初頭まで、京阪神と大分県北部を結ぶ海上交通の要衝として栄えた豊後高田市(ぶんごたかだし)。「昭和の町」は江戸時代から昭和30年代にかけて、国東半島(くにさきはんとう)でもっとも栄えた商店街でした。

時代の流れとともに衰退しますが、2001年から昭和時代をコンセプトにしたまちづくりに取り組み、かつての活気を取り戻しました。全国でも数少ない、商店街のV字復活劇です。

中央通り商店街

新町通り商店街

鳥居とネオンのアンバランス

広場

「真玉海岸(またまかいがん)」は日本の夕陽百選にも選出された絶景スポットです。縞模様の干潟に反射した夕陽のオレンジは大変美しく「日本のウユニ塩湖」とも称されます。

真玉海岸

真玉海岸

商店街からほど近いヤマザキショップ。「からあげ専門店げんきや 豊後高田店」が併設されており、大分県名物のからあげを目当てに入店しました。20時10分。入ると、げんきやの電気は消されています。どうやらからあげは20時で終わってしまったようです。「火今消したとこだから(まだ注文しても)大丈夫よ」。優しい目をしたおばちゃんが厨房から話しかけてくれました。なんとアットホームなコンビニでしょうか。レジにいたおじちゃんが厨房に入り、私のからあげのためだけに、もう一度火をつけてくれました。採算が取れるのだろうかと心配になりつつ揚がるのを待っていると、20時15分くらいに肌が黒くやけたガテン系のにいちゃんが「まだ弁当いける?」と入ってきました。さらに1分後に細身の若い男性が入ってきて、同じく弁当を注文。老夫婦は文句1つ言わず応対をしていました。「まだ夜ご飯食べてないの?お腹すいたでしょおぉ。ぺこぺこだあ」。からあげ弁当を手渡すとき、私の健康まで気遣って言葉をかけてくれたおばちゃんの温かさは忘れません。

ヤマザキショップ

商店街は夜でも多くの人が歩いていました。居酒屋やスナックから光がこぼれます。それほど広くない道路には代行タクシーが行き交っていました。

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