東京一極集中と阪神淡路大震災
1990年代の日本では、東京一極集中の深刻化や、1995年に発生した阪神・淡路大震災によって都市型災害への対応が課題となっていました。1996年に発足した「国会等移転審議会」では、首都機能移転に関して話し合いが行われました。選考基準としては、「現在の首都である東京からのアクセスも含めて交通の便がいい」、「地震、津波、火山など自然災害のリスクがない」、「開発可能な広大な平地があること」などです。1999年には「栃木・福島」、「岐阜・愛知」、「三重・畿央」の3地域が移転候補地にふさわしいと答申。しかし、その後は議論が沈静化しています。
日本と遷都
日本は古来から、遷都を繰り返してきました。奈良70年、京都1000年、鎌倉140年、東京400年。さらにさかのぼれば、邪馬台国という謎多き勢力が近畿あるいは、九州を支配した時代がありました。栄枯盛衰、諸行無常。遷都なんてとんでもない、なぜ首都を移転する必要があるのか、と思われる方も多いかもしれません。現代の東京一極集中は我々日本人が選択した自然な流れと言えるかもしれません。しかし、災害へのリスクに備えておく必要性はあるのではないでしょうか。必ずしも100年後の首都が東京である必要はありません。
合理性と機能性
クライシス小説の第一人者である高嶋哲夫さんの小説『首都崩壊』で登場する架空の建築家、長谷川新之助の言葉に「必要なのは合理性と機能性の2つ」があります。文化と伝統の継承を重視する日本人。都会の人々が田舎暮らしを求める行為は合理性とはかけ離れています。逆もしかり。田舎の人々が災害のリスクがあるからといって故郷を捨てるわけにはいかないのが現実です。
流れの中で
「私たちのテーマは、流れです」。長谷川新之助は時代の流れ、都市の流れ、国の流れ、文明の流れ、人の流れ、意識の流れ、すべては流れの中のひとこまにすぎないと説いています。日本は変わりながら進んでいくのです。ソ連崩壊、欧州連合発足。今後、アジアや世界が1つになる可能性もあるわけです。
形あるものはいずれなくなります。イタリアのポンペイ、イランのペルセポリス、中国の長安。栄華を誇った都も今はありません。東北の人々が築き上げてきたモノは東日本大震災の津波がすべて流し去りました。残ったのは東北人の魂だけです。
吉備高原はいかがでしょうか
『首都崩壊』では迫り来る大地震に備えて首都移転を模索するようすが描かれています。物語の終盤で「まずは、吉備高原はいかがでしょう」という提案がなされます。首都移転先の最有力候補地として挙げられた吉備高原は岡山県中部を中心として広がる高原です。活断層が少なく、地震の少ない地域。東南海で大地震が発生しても、瀬戸内海を隔てているので地震や津波の被害は少ないと予想されています。
岡山県は降水量1㍉未満の日が日本一多い都道府県であり、「晴れの国」の異名をとります。中国山地が季節風を遮り、四国山地のおかげで強い勢力の台風が上陸するケースも少ないです。温暖で過ごしやすいことは最大の魅力の1つです。
もちろん、自然を侮ってはいけません。同じく地震の少なさをアピールしていた熊本県は震度7を記録した熊本地震の影響でアピールの方針見直しを余儀なくされました。岡山県で今後大きな自然災害が起きないとは断言できません。
中四国の十字路
意外かもしれませんが、吉備高原は交通網も充実しています。高速道路は北に中国道、南に山陽道が通り、新幹線は岡山駅と新倉敷駅がいずれも30㌔ほど、岡山空港を使えば飛行機で羽田から1時間半で到着します。瀬戸大橋で四国との往来も可能です。過度な開発による自然破壊は心配ですが、これまでも吉備高原都市として開発されるなどポテンシャルは十分。日本の地理的中心とはいえませんが、誤差の範囲内でしょう。通信網も発達した現代において、岡山県に首都を置くことは決して非現実な選択とは思いません。
【参考文献】
高嶋哲夫『首都崩壊』幻冬舎、2014
岡山県移住ポータルサイト『おかやま晴れの国ぐらし』
くらしのなかに防災ニッポン『地震が少ない岡山も南海トラフ地震なら震度6強!』
関西の議論『「岡山は◯◯が少ない」地震・雨・台風…岡山県のPRは大丈夫か 熊本県は「自然を侮った」と見直したが』産経新聞、2016
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