かつて、日本には2万5000以上もの城があったそうです。これは、日本全国にある郵便局よりも多い数字。しかし、明治維新の廃城令によって激減し、一般的に見学できる城は200城ほど。さらに、現存天守となると12城、国宝は5城と限られます。「日本3大名城」は諸説ありますが、基本的には江戸城、名古屋城、大阪城、姫路城、熊本城の5城に絞られます。
江戸城、名古屋城、大阪城、それに姫路城は城郭の規模が大きいことから日本3大名城に挙げられることが多いです。
また、築城の名手と謳われた藤堂高虎(とうどうたかとら)、加藤清正が築城した城は優れたデザイン性や機能性から日本3大名城に名を連ねることが多いです。
藤堂高虎は江戸城や大阪城のほか、伊賀上野城、宇和島城など20近くの築城に関わりました。加藤清正は熊本城はもちろんのこと、江戸城や名古屋城の築城にも関わっています。
江戸城(東京都千代田区)
約260年にわたって続いた江戸幕府の拠点。徳川家が居城しました。日本最大の規模を誇るため、日本3名城に含まず別格として扱われる場合もあります。明治時代以降は皇居となっています。東京の玄関口である東京駅とは1本の直線道路でつながっています。
名古屋城(愛知県名古屋市)
徳川御三家の1つである尾張徳川家が居城した名古屋城。天守で光り輝く金のシャチホコで有名です。名古屋市は日本3名城の1つである名古屋城の城下町として発展しました。
大阪城(大阪府大阪市)
天下統一を目指す豊臣秀吉にふさわしい拠点として1583年から築城がはじまりました。1614〜15年の大坂の陣で落城してしまいましたが、復興天守は現在も大阪のシンボルとして愛されています。
姫路城(兵庫県姫路市)
日本を代表する城であり、世界遺産にも登録されている世界に誇る名城です。白く美しい姿から「白鷺城(しらさぎじょう)」の異名を持ちます。その歴史は大変古く、1346年に赤松貞範が築城したとされます。戦国時代には軍師・黒田官兵衛や羽柴秀吉が入城しました。
熊本城(熊本県熊本市)
熊本城は、日本最後の内戦「西南戦争」の舞台となりました。明治維新の立役者であったはずの西郷隆盛が、新政府に不満を募らせる士族を代表して反旗をひるがえします。しかし、西郷軍は新政府が拠点を置いた熊本城を最後まで攻略できず「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」という名ゼリフを残しました。かくして、時代が近代へと移り変わる最後の最後で加藤清正の築城能力の高さが証明されたのです。
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